summyworldについて

ディズニー、よさこい、見切れ写真など、ともかく何でも面白がってやっちゃうSummyのHPです。 テーマパークコンサル、コーチングなど 次はこんなことも、あんなことも?!と面白がってご覧ください。 Let's Fun to the WORLD!!!!!

2018年。
みなさん、今年はどんな1年にしたいですか?
せっかくだから素晴らしい1年にしたいですよね。

私ですが、1月2日の今日、自分のこの1年の行動計画を立ててみました。
立てたのがこちら。

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…何も分からないじゃん、と言われそうですが、ごめんなさい、私の行動計画はまだ言えないことだらけなんですよ…すみませんね。

とはいえ、一応言えることもあるのでご紹介すると、
・4月の戸田彩湖フルマラソンで念願の5時間切り(現在の自己ベスト5時間6分)
・英語、広東語、中国語(普通話)を日常会話レベルで話せるようにする
という感じです。

全体を通して一番の核になるところは、「私の魅力を最大限に発揮する」というところかなと。
これまでの自分は人を立ててサポートするところが大きかったのですが、それよりも自分の出して、魅力を最大限に発揮するところに注力を当てていきたいな、と。
そうやって貢献できるところは多そうな気がするんです。
ただでさえ、これまで「スルメ系」(噛めば噛むほど味が出る系)キャラクターとして通ってきた人なので、今年は最初から自分の魅力を最大限に出していきます。

みなさんはどんな2018年にしていきたいですか?

#FM書初め

フューチャーマッピングについてはこちら

香港ディズニーランドがきっかけで通うようになった香港。
年に何回か行くようになった。
現に、この文章も香港からの帰国便で書いている。

私が香港に行くときは、パークと、香港の中で行ったことがないところへ行くようにしている。
その度にまた香港が好きになる自分がいる。

私はなぜこれほどまでに香港が好きなんだろう?
香港ディズニーランドは元々好きだが、香港の街はなぜ?

その答えは、滞在中に読んだ香港が中国に返還されて20年になり、若者たちの意識は今どうなっているか、という記事で明らかになった気がする。
中国との関係で、若者たちは自分たちの生活への閉そく感を抱え、アンケートでは30年後(一国二制度がなくなる)には香港以外の第三国へ向かうと答えた若者たちが増えているという内容だった。
デモでも、選挙でも、自分たちが考えている自由が保障されるような動きにならず、これまであった自由もなくなる可能性があることへの恐れがあるようだ。

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でも。
色んな歴史が入り混じり、色んな人と混じり合い、香港人のあなたたちが今ここにいるんだ。
自由の中で生き、あらゆる文化が混ざり合う香港で、香港人である希望を失わないで欲しい。

香港の人たちへ
あなたたちは世界に自由を描くために生まれてきたんだ。
どうぞ、あなたたちの持つ、世界からあらゆるものを受け入れる寛容と、自由を求める心をそのまま伸びやかに保ち続けられますように。

今日は奇しくも七夕。
私は香港の街中で、そう願わずにはいられなかった。

そして、同じく自分も寛容と自由を求めて世界を飛び回り、人生を楽しむことを伝えられますように。

香港は、自由に生きる人が好きな場所だ。

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7/1,2の土日は「函館マラソン」に参加してきた。
そもそも、うちの相方と見切れ写真家元・前多先生などが話をしていたイベントで、私はひょいひょいと乗っかって参加することにしたのだ。
その後は「ヤミーの口車」(前多先生談)で何人か参加者を募り、最終的には8名の参加者に!
しかもイベントだと仕切りたくなる性格?上、ああだこうだと幹事的に動く私…。

前日、函館入りしてからは、五稜郭を見に行き、前日決起会と称した懇親会を開催。
その懇親会場は、ビックリするぐらい小さなイカ刺しが出てきたり、想定していたおにぎりとは違うものが登場したりと、ちょっとみなさんガッカリ…。
きょ、教訓ができたじゃないですか、「写真に惑わされない」って。

ちょっとお皿のスカスカ感と合わせてビックリ…去年前多先生からもらった活イカの3分の1ぐらいのサイズかも
ちょっとお皿のスカスカ感と合わせてビックリ…去年前多先生からもらった活イカの3分の1ぐらいのサイズかも

当日は曇りで、言うほど走りにくい感じはなかったものの、湿度が高い…。
これはこれでしんどいなぁ…。

会場で集合してからは、みんなで見切れたり、見切れグループへの呼びかけをしたりと動いていたらもうスタート!
今回ハーフとフルの部があり、ハーフの部に参加した私。
そんなに飛ばさないと決めて走った割には若干速いスタート…ムムム。
市街地を抜け、ハーフのメインとなる海沿いに出てきたのだが…、強風!
向かい風になるときついものが…あぁ。
それでも個人的に一番楽しみだったよさこいの応援演舞を見れてとっても満足する私。
あぁ、久しぶり(1ヶ月ぶり)のよさこい…幸せ。

往路は演舞中でしたが、復路はハイタッチタイム中。それはそれで嬉しい!
往路は演舞中でしたが、復路はハイタッチタイム中。それはそれで嬉しい!

コースは風が強いものの、それほどアップダウンがないのでまだ走りやすいかな。
ただ、スタート時は曇りだった函館の空は…晴れ間がのぞいてきた!
しかも暑さが…これはジワジワくるわ。
途中ですれ違う見切れグループの参加者のみなさんも辛そう…。

それでも何とかゴール近くまで歩みを進めてきた。
私は撮影しながらiPadを持って走っていたのだが、途中の給水所でもらった筒入りようかんが大きすぎて食べれず、何故かそのようかんも手に持っていた。
これはゴールしたら食べるかな…。
そしていよいよゴール地点が近づいてきたところで、競技場からアナウンスが聞こえてきた。
「まもなくフルマラソンの部、1位がゴールです」
何、フルマラソンの人には負けたくないなぁ。
と、残り100mは爆走し、何とかフルマラソン1位の人より先にゴール!
何の負けず嫌いなんだ…!!

タイムは2時間32分。自己ベストからもだいぶ遅いけど、この高温でよく頑張ったということで
タイムは2時間32分。自己ベストからもだいぶ遅いけど、この高温でよく頑張ったということで

その後は競技場で見切れグループのみなさんのゴールを待つことに。
しかし、かなり暑くなってきたからか、みなさん想定より遅い…。
うちの相方とか、足でも痛めたのかな…何時もよりかなり遅いんだけど。

結局、私の次にゴールした見切れグループの前多先生は40分後、その後もみなさんしんどそうにゴール…。
暑さで具合が悪くなったり、足を痛めたり、みなさん大変だったようです。
最終のうちの相方(フルの部)まで、みなさんが無事にゴールできたことが何より。
この中で一番疲れがなさそう&1番の若年者の私が動きます…!!

そして、前日に「自己申告予想タイムに最も近い人が優勝」という勝負を参加者全員で行ったら…しまった、私が優勝か!
すいません…不覚にも私とは。

優勝商品は北海道ならではのものなら何でもOK、ということだったので、ハーフゴール時にもらえる予定が食べ損ねた夕張メロンをいただくことに。
すぐ食べれる物をもらったので、明日の朝いただくぞ!

お世話になったみなさん、ありがとうございました!
知らぬ地での大会でも、知り合いがたくさん走っていると楽しいものになるなぁ。
さぁ、私はここから次の大会である、60kmウルトラマラソンの足がかりにしていきます!!
真夏の大会を体験できたから、イメージもそれなりにできたぞ。

メロンは今回走ったみなさんとの良い思い出となりました。感謝!
メロンは今回走ったみなさんとの良い思い出となりました。感謝!

ある日、私宛にポンと飛び込んできたメッセージ。
随分久しぶりの人からのメッセージだった。
遊びにきませんか?ということだったので、そのお誘いに乗ってヒョコヒョコ向かったのだった。

場所は某所の高層マンション。
セキュリティが厳しく、セキュリティを入った先にもコンシェルジュさんが座っているようなところなので、少々ビビりながら潜入。
いやいや、高級ホテルのような…!!

そして、お部屋にたどり着いても、ここは高級ホテルか、と言わんばかりのスタイリッシュさ加減!
うぉぉ、無用にキョロキョロする私(怪しいな)。

そしてお招きいただいた方と近況報告色々。
そう、よく考えてみたら、ガッツリ話したことはなかった!
人と話をしていると、自分の収集癖ぶりや案内人気質が浮き彫りになってくるから面白い。

そしていよいよ本題へ。
デザイナーの彼女にホロスコープを見てもらい、どんなファッションが似合うか、彼女の手持ちのお洋服から選んでもらい、着てみた。
これは、という洋服については即席撮影会が行われたので、どんな感じだったかは以下の写真をどうぞ。

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自分は美的センスに??で、多分これでいいんだろう…という勘で洋服を選んできていたが、だいたい合っていたことが判明。
専門家の観点でも、ホロスコープの観点でも、合っていたようで良かった…。
やっぱり、ピシッとしているものが安心できます。

Ms Mamiさん、大変ありがとうございました〜!!

生まれてこのかたずっと神奈川県民の私。
テレビが苦手な私の生活にはラジオがあり、特に中学生ぐらいからはFMを聞くようになっていた。
神奈川県民だからFMヨコハマだろうと思われがちだが、ところがどっこい、ほとんど聞いていない。
ではどこの局を一番聞いているかというと、在京FM局のJ-waveである。
高校生のとき、部活(放送部)の人が聞いていたというのが一番の理由で、以降20年ぐらいずっと聞いている。

他局と異なり、独自の世界観を持っているJ-wave。
私がJ-waveが好きな理由としては、
・曲とトークのバランスが良い
・洋楽が中心だが、邦楽のセンスも良い
・耳馴染みが良く、聞きやすいトーク内容
などなど。
元々バイリンガルDJが多く、そのかっこよさに憧れたというのも大きな理由かも。

そして度々公開収録に応募し、数年に1度当選して行っている。
今回は「Otoajito」という番組の公開収録に当選!
3年ぶりに六本木ヒルズへお邪魔してきた。

ステージからしてオシャレ。流石だなぁ
ステージからしてオシャレ。流石だなぁ

会場は六本木ヒルズの29階。
一般人は普段入れないYouTubeのスタジオである。
手続きをして入ると…おぉ、クリエイター系のゴージャスな感じのスタジオではないか!
東京タワーも見えるぞ〜!
4階上がJ-wave本社だが、そこから見える景色とほぼ同じ景色が広がっていた。
(注:私は過去2回公開収録でJ-wave本社に行ったことがある)
嬉しいことに食事付き、飲める人にはもっと嬉しいビール付き(提供がサッポロビールの番組のため)ということもあり、一緒に来たうちの相方も腹が減ったととりあえず食事を取って席へ。

中の様子が写り込んでいますが左端に東京タワーが!
中の様子が写り込んでいますが左端に東京タワーが!

前半は「Otoajito」の番組収録。
ナビゲーターのクリス・ペプラー御大がゲストの「モンドグロッソ」大沢伸一さんにあれやこれやと聞いていく。
14年ぶりのニューアルバムを出すこともあり、その話が中心となっていた。
モンドグロッソの音楽は高校生ぐらいから聞いていたので、懐かしい話も多かったなぁ。
しかも御大のトークテクニックがすごすぎて、学ぶところも多い!
素晴らしい1時間でした!
(この模様は6/10(土)18:00〜オンエアされるので、よろしければぜひ)

取ってきた料理。右のシュークリームはYouTubeとJ-waveのロゴが!
取ってきた料理。右のシュークリームはYouTubeとJ-waveのロゴが!

休憩をはさみ、後半はモンドグロッソのアコースティックライヴ。
しかもゲストにシンガーのbirdさん(みうらじゅん妻)が来るという!
もう私はこの組み合わせを見たくて応募したと言っても過言ではない。
birdさんのデビュー曲「souls」、モンドグロッソとの共作で大ヒットした「LIFE」を聞けた時は流石に鳥肌ものだった。
私もつい口パクで参加である。
あぁ、よく聞いたよ、歌ったよ!
加えて、今回のモンドグロッソのアルバム収録曲の3曲を演奏し、終了。
短い時間だったけど、お腹いっぱいになる選曲だったなぁ。

うちの相方よ、全くモンドグロッソやbirdさんを知らない中ついて来てくれてありがとう!
お土産の番組特製ビアグラスは、私は麦茶を入れて余韻に浸るかな。

お土産のビアグラス。これ普段視聴者プレゼントしているやつなので、素直に嬉しい!
お土産のビアグラス。これ普段視聴者プレゼントしているやつなので、素直に嬉しい!

私といえば、ディズニーアニメ以外は漫画、アニメはかなり疎い。
自分が小学生の時にはまっていたものか、よさこいがモチーフになったものぐらいしか分からない。

だが、うちの相方は漫画・アニメ大好き。
我が家には単行本が数百冊はあるだろうか。
喫茶店の漫画コーナーか、と突っ込みたくなるぐらいである(私も私で「月刊ディズニーファン」18年分が本棚にあるが…)。

そんなうちの相方についていき、先日東京タワーにあるテーマパーク「東京ワンピースタウン」に行ってきた。

... "いつもと違う場にいても、心は…" を続けて読む

1.何、118kmって!?

うちの相方が118kmのマラソンに参加するという。
私は「はーい」と返事するのみなのだが、よくよく考えてみたらビックリする距離である。
フルマラソンの約3倍の距離。
自分が走れと言われたらえーっ、となってしまうだろう。
しかし、すでに100kmの大会を2度完走しているうちの相方なので、特に心配もしていなかった。

そんな感じでついていくことになった、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン。
私はうちの相方の完走より、(車が運転できないため)自分が応援に行くのに交通の便が悪すぎるという問題を突きつけられ、あたふたと対応を余儀なくされた。
もっと交通の便が悪い京都・丹後ウルトラマラソンのほうが交通に苦労しなかったのに…。

... "118km先を目指す人" を続けて読む

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最近上海と香港に行く機会が多い。
もちろんパークがあるから行くのだが、行く時には「初体験」を1つは行うようにしている。
今回の場合は、
・パークに人を連れて案内
・上海パークのシーズナルパス(期間限定フリーパス)購入
・上海交通カードの購入
・初めて行く場の街歩き
の4つかな。
パークはさておき、後の2つはどういうことかというと…。

... "プラタナスが織りなす上海の2時間" を続けて読む

先週の土曜日(4/8)、埼玉県で開催された戸田彩湖フルマラソンに参加してきた。
私が2012年に初めて参加して以降、怪我をした2015年以外は毎年参加しているフルマラソンである。
規模が小さいものの、その分スタート待ちをしなくてもいいところや、飲食が充実していてエネルギー切れにならないことが魅力。
そんなこともあり、このマラソンは私にとって相性が良いらしく、これまで何度も自己ベストを出している。
今年は昨年同大会で出した自己ベストからさらに15分短縮の5時間6分!
夢の5時間切りもついにすぐそこまで迫ってきた。

しかし、今回はそこまでいいタイムを出せると思っていなかった。
タイムを出せた要因を5つ書き出してみる。

・名古屋ウィメンズマラソンを走ったこと

これまで、1ヶ月前にフルマラソンを走り、このマラソンを走ることで自己ベストを更新し続けてきた。
1ヶ月前に長距離(フルマラソン)を走ることで足が作られ、翌月の戸田彩湖も問題なくいけたのだろう

・室内ランをし続けた

実は、私は大会やランニングクラブの練習会ぐらいでしか外を走っていない。
ほぼ自宅ランである。
自宅ランとは、自宅リビング(8.5畳)と和室(6畳)をグールグル。
これで2時間ぐらい余裕で走って…トータルで1日4時間とか走っていたことも。
寒がりというのもあるし、着替えるのが面倒というのもあるし…!

・集中力が切れなかった

ここ最近の私は大会中、特に25kmを超えた時点で集中力が切れることが多かった。
それは足を痛めたり、お腹を壊したり、疲れが出てきたり。
今回は25kmを過ぎても、30km過ぎても好調だった。
流石に35kmを過ぎてから足に疲れが溜まり始めたけど、スピードは衰えなかった。
そのままのスピードでゴールできたのが大きかったなぁ。

・一度も給食に手を出さなかった

上にも関連するが、給食に手を出すと止まってしまうことになり、これまでの流れを止めてしまうと、ドリンクのみ手を出していた。
自分でエネルギージェルを持っていたし、自分の走力なら栄養補給しなくても最後まで持つという判断である。
その判断は成功し、最後まで流れに乗れて走れた。
完走後はグレープフルーツをムシャムシャいただいたけどね(エイドステーションはゴール付近にあり、完走後でも食べて良いシステム)。

・前日にブロック解除をしてもらった

前日朝は読書会、昼はブロック解除の会に出かけていた。
読書会は、いつもの新百合ヶ丘の宇宙人のみなさんによるもの(笑)。
昼のブロック解除の会は友人の小林さんたち主催のもの。
実は形は違えど、どちらでもブロック解除をしてもらった。
そもそもブロック解除とは、自分の中にある(可視化されているいないに関わらず)心的ブロックをなくす、あるいは融解させるものである(と私は理解しておる)。
特段マラソンについてのブロック解除をしてもらったわけではないが、たぶんマラソンも副次効果として心的ブロックがなくなり、早くなったかと思う。
やってもらったことで、心持ちが随分楽になったしね。

というわけで、ここまで私がフルマラソンで自己ベストを更新した5つの要因について書いてきた。
他にも朝の雨がスタート後30分ほどで済み、その後は曇りで走りやすいコンディションだったことなどがあるだろう。
いずれにしても、自分の力を最大限に出せる方法を見出したので、次はこれをより再現する方向で。
次回のマラソンは7月の函館。
暑そうだが、仲間も多いし、楽しく走れそうかな。

私はストーリーメーカーであり、裏方であり、何よりプロデューサーである。
特にプロデューサーというところは強調しておきたい。
今回は何故私がプロデューサー道を歩むことになったのか、そんな話をしていきたい。

元々ライトノベルが好きだった私は、小学校の頃は本気でライトノベル作家になるつもりだった。
でもユーミン(松任谷由実)好きが高じてユーミンのラジオを聴くようになってからは、すっかりラジオリスナーとなり、夢もラジオDJになっていた。
大学は好きな科目だった地理(学校の先生にもなりたかった)か、日大の放送学科か、中学生の頃から本気で悩んでいたぐらいである(早い…)。

高校は自分の希望とは異なる学校に進んだ私。
私学でこれまで過ごしていた公立とは環境は一変したのに加え、地理の授業がなくブーブーいっていた私だが、唯一の希望は放送の部活があったことである。
うちの母に猛反対されるも、速攻で入部した。
しかしアナウンサーは体力増強が求められ、ひどい運動オンチの私は苦戦…。
それでも数ヶ月後には普通に礼拝(キリスト教系だったので)や昼の校内放送など、普通に喋っていた。

そのうち喋るだけではなく、自分で番組を作るようになっていた。
小学生の頃のストーリーメーカーが蘇ってきたのか、それともラジオリスナーの血が騒ぐのか、週1本の番組を何の苦もなく台本を書き上げ、上級生に喋ってもらっていた。
そして思うのである。

自ら喋るより、作って全体をプロデュースするほうが楽しい、と。

それに輪をかけたのが、高校2年のときに私が作った作品が県大会のラジオドラマ部門で3位をいただいたことだった。
自分の高校で受賞は数年ぶりの快挙。
色々な人に褒められたけど、それよりもプロデュースすることの手ごたえを強く実感した出来事だった。

もちろん、順調に部活を過ごしていたわけではない。
OBが厳しい部活だったこともあり、その厳しさのため辞める人が多かった。
3年の後半には部員が自分だけになったこともある。
時には放課後の放送室を自習室代わりにして受験勉強しながら校内放送をし、放送機材を自由に扱える特権を利用し、自分の卒業式前に流すスライドを仲間と作っていたりもしていた(それをしたいがために卒業式関係の委員をやった)。
自分がプロデュースする場でもあった放送室だが、同時に3年間クラスに馴染めなかった私の数少ない居場所でもあったのだ。

結局大学はDJの道ではなく、好きな地理のある大学に進んだ。
でもあの高校でのプロデューサー経験は、関係のない地理に進んでも、社会人になっても、大きく生かされることとなった。

・大学、大学院在学中に企画したイベント数知れず
リーディングファシリテーターとして読書会20回ほど開催
・とあるお祭りのプロデュース
・見切れ写真師範としての講座開催
テーマパークコンサルタント

プロデューサーとしてだけでなく、そこで培った経験があらゆるところで生かされている。
自分がプロデューサー魂をあそこで身につけたおかげで、本当に今があるなぁ。